忘れ、苦しみ、音を吐く
……おおおお……ん。
……おおお……ん。
聞こえるもの。深く深く響くような、声。
目が見えない。瞼の赤さ。よどんだ空気がなまあたたかい。
「さあすきなところへいけ」
後ろから別の声がして。
瞼が開く。
……おお……ん。
……おおおお……ん。
空はまだ赤い。
風はまだ戻らない。
草はまだ茂らない。
空が赤くなく、風があり、草が茂っていた頃が、……
覚えているのに、思い出せない。
空はまた赤い。
声がまた響く。
ぼくはまたここにいる。
今見ているのと同じものを、前に、……
覚えているのに。
生まれて初めて息をしたみたいに、空気を吸っては吐く。
苦しい。
苦しいのに、吸えばいいのか吐けばいいのか分からない。
喉の奥が重い。
何度か息をしてやっと気付く。
これは息が足りなくて苦しいわけじゃない。
そうだ、ぼくは昔、してはいけないことをして、しなくてはならないことをしなかった。
だからこんなに、こんな、こんなに苦しい。
苦しいんだ。
「『くるしいくるしいくるしいなにをすればいいのかくるしいくるしいなにをしてはいけなかったのかくるしいくるしいくるしいああかみさまくるしいしぬくるしいくるしいくるしいまたここにたっているくるしいくるしいなにをすればいいくるしいかみさまくるしいくるしいああほんとうにぼくはなにをすればいいのか』」
歩き回る以外にすることがない。何かをしなければならないはずなのに。
道も建物もひどく歪んでいる。苦しみか歪みかを吐き出すように声を撒き散らすものたちがいる。
声。ぼくも吐き出せるだろうかと試したが、どうも彼らの出す音とは違う気がした。
ぼくは高い高い塔に気付く。
鈍く輝く赤黒い塔だ。背骨の中身に触れるような傾ぎ方をしている。
「きおくは」
足の動くままにその塔を目指していると、白いものが姿を現した。
「うまくはなせないようだな」
……いや、白、赤、金色。真っ直ぐなもの。
しばらく声を出して、何やら大きなものを落とし、消えた。
あ、わかる。
これを拾って、使うんだ。
前にしたように。
わかる。
思い出せないけれど、覚えている。
『何か』を拾って背負う。
それはずっしりと重く、置いて行こうかとも思ったが、これは要るものだと覚えていたので、そのまま歩き出した。
空はまた赤い。
背中のものはまた重い。
ぼくはまたあの塔へ行く。
おお……ん、と声がする。
物憂さを吐き出すように。